アルツハイマー病新薬のレカネマブの承認について
アルツハイマー病の新薬であるレカネマブが日本でも承認されました。アルツハイマー病の薬としては、メマリーが承認されてから12年ぶりの新薬になります。そして12年もの間、新しい薬が出なかったことはアルツハイマー病治療の苦難の歴史を反映しています。
レカネマブは、アルツハイマー病の原因で患者の脳内にあるアミロイドという蛋白質を減らす作用があります。このアミロイドは、中年期頃から脳の中に蓄積するようになり、アルツハイマー病発症の原因になっていると考えられています。この「アミロイド仮説」の根拠は患者の脳内でアミロイドの塊が多く見つかっていること、そしてそれ以上に重要なのが、アミロイドに関連した遺伝子に異常を持っている家系の人達は若年性のアルツハイマー病を発症するという事実です。このような遺伝子の異常によるアルツハイマー病を家族性アルツハイマー病と呼び、稀ですが日本でも家族性アルツハイマー病の家系が報告されています。家族性アルツハイマー病の原因となる遺伝子は、APP、PS1、PS2の3つが報告されていますが、いずれもアミロイドという蛋白質の生成に関係した遺伝子です。
2000年頃から、アミロイド仮説に基づきアミロイドを減らす薬の開発が進んできましたが、これまでほとんどの薬で効果が認められず、一部の研究者からは、アミロイドがアルツハイマー病の原因ではなく病気の結果として脳内にできている副産物ではないのか、だからアミロイドを減らしても効果がないのだというアミロイド仮説自体を疑問視する声も出てきました。
しかし、製薬会社のエーザイが、まずアデュカヌマブという薬で部分的な効果を証明し、今回、レカネマブという薬でさらにはっきりした効果を示したためにアメリカと日本で正式に承認されることになりました。
このアデュカヌマブの効果を、論文から引用しました。
PMID: 36449413より引用
少し見づらいのですが、図Aでは右下に下がっていく黄色と青色の線があります。このグラフの横軸は時間、縦軸はCDR-SBという方法で評価した認知機能で、下にいくほど認知機能は低いことになります。つまり黄色も青も時間とともに認知機能が低下していくことを意味していますが、黄色の方が下がり方が緩やかです。この黄色の方がレカネマブを投与された人達で、青色の方はプラセボ(偽薬)を投与された人達です。投与後6か月頃からレカネマブ群とプラセボ群の間に差が出てきており、投与後18か月まではその差は開いています。図CからEは別の評価方法で評価していますが、やはりレカネマブ群とプラセボ群の間には差が開いています。また図BではPETという機会で脳内のアミロイド量を調べています。プラセボ群ではアミロイドの量はあまり変わりませんが、レカネマブ群では投与とともにアミロイドが減っています。
これらの結果から、レカネマブはプラセボに比べて脳内のアミロイドの量を減らして認知機能の低下(進行)を緩やかにしていると考えられます。
認知症の治験では、認知機能を客観的に評価する必要があります。高血圧の薬の治験では血圧を、糖尿病治療薬の治験では血糖値などの血液検査をおこないますが、認知機能を簡単に測定する機械はありませんので、実際には知能テストのような方法で人間が時間をかけて調べていくことになります。また評価法ごとに特徴があるため、複数の評価法が用いられます。
なぜ、これまでのアミロイドを減らす薬では効果が認められなかったのに、このレカネマブでは効果が見られたのでしょうか?実はアミロイドは脳の中でいくつかの形態に変化しています。この中で病気の発症に関与しているアミロイドとそうでないアミロイドがあると考えられ、今回のレカネマブでは発症に関与しているアミロイドの量を減らしているので効果が出たと考えられます。またアミロイドを減らす力もこれまでの薬より強いようです。
アミロイドを減らすことにより、認知機能の低下を緩やかにすることを証明したという点でレカネマブは画期的な薬ですが問題点もあります。
レカネマブは非常に早期の患者さんが対象になります。どのくらい早期かというと、少し物忘れがある程度で認知症かどうか症状だけでははっきりしない程度の段階です。このような早期の人をアルツハイマー病と診断するためには、脳の中にアミロイドが蓄積していることを証明する必要があります。アミロイドの検査としては髄液検査とPET検査がありますが、後者の方が侵襲が少なくおそらくPET検査が主として使われるようになると思われます。
PMID: 35649652より引用
上記の図はPETという機械で撮影した健常者(左2つ)とアルツハイマー病患者(右2つ)の脳です。アルツハイマー病患者では赤い部分が増えていますが、これがアミロイドです。こうした検査ができる医療機関は限られますし、レカネマブ自体も稀ですが重篤な副作用が起こる可能性があることを考えるとこの薬で治療を受けることができる医療機関はかなり限られるでしょう。
アルツハイマー病と診断されている人でも実際にPET検査をすると、おおよそ2割の人ではアミロイドの蓄積が見られずアルツハイマー病の診断が否定されることが分かっていますので、物忘れがあっても検査でアミロイドがなければレカネマブを使用することはできません。
上記の図を見る限りレカネマブの効果はあったとしても投与後18か月の時点でその効果はそれほど大きくはありません。おそらく、患者自身や家族から見ても効果を感じる可能性は低いと思います。つまりレカネマブはあくまでも進行を抑える薬であり症状を改善させたり、元に戻したり、進行を止める訳ではありません。レカネマブを投与しても上記の図ではグラフは右下がりです。
アミロイドを減らしただけでは進行が停止しない理由としてアミロイドはあくまでも病気の引き金であり、アルツハイマー病の進行には他の複数の要因が関与しているためと考えられています。
レカネマブの重篤な副作用として、脳出血があります。ほとんどは、それほど大きな出血ではなかったようですが治験中に一人が重篤な脳出血で亡くなっています(この方は、抗凝固薬という血液を固まりにくくする薬を服用していたため、出血が大きくなったと考えられます)。
また薬価の問題があります。レカネマブは生物学的製剤、あるいは抗体医薬品と呼ばれる種類の薬です。こうした薬はすでに膠原病や癌の治療薬としても実用化されていますが、いずれも非常に高価です。レカネマブもアメリカでは1回の治療で300万円以上かかると言われており、日本でも200万円以上になると思われます。また一度レカネマブを投与してアミロイドが減っても、徐々にまた増えていくことが予想されます。そうなると1回200万円の薬を何度も投与することになり、相当の医療費になります。保険適応がある薬ですのでレカネマブの費用の7-9割は保険から出ますが、それだけ医療保険制度に負担がかかっていくことになります。日本の社会保険料はこの30年間は増大傾向ですから、こうした高額な薬が多く使われるようになるとさらに国民負担が増えていくことになります(どこまで皆がそれに耐えられるかということになります)。また薬価が高額なだけではなく効果が薬価に見合わないのではないか、という意見もあります。
抗癌剤の多くは根治不可能な癌に対して使用されており、その延命効果は短ければ半年から1年程度です(癌の種類によっては、数年単位と長いものもあります)。抗癌剤も新しい薬はレカネマブと同様、生物学的製剤で非常に高価です。オブジーボという抗癌剤は、やはり年間の薬剤費が300万円程度です。アルツハイマー病の薬としてはすでにアリセプトやメマリーという薬があります。こちらはレカネマブのように高価ではありませんが、例えばフランスでは価格に見合う効果がないということで保険適応がありません。確かにこうした薬を患者さんに投与していても、効果を感じることは多くありません。では保険適応から外して良いかといえば、認知症専門医の多くは反対すると思います。
もうひとつの議論として、認知症が高齢者の病気という点です。例えば80歳で認知症になったとして86歳で亡くなるとして毎年レカネマブを投与すれば総額の薬剤費は1千万円以上になるかもしれません(1割負担であれば本人の負担は1/10です)。人生の最後の数年に対して、それだけのお金を保険から出して良いのかという意見があります。ただ、この問題はレカネマブに限った問題ではありません。またレカネマブの副作用である脳出血は高齢者の方が多く発生する可能性が高く、どんなに高齢でも投与できる薬ではないでしょう。高齢者になるほど純粋なアルツハイマー病は少なく、動脈硬化など他の要因が混在していることが多くレカネマブの効果はそれほどない可能性があります。ちなみに治験に参加した方の年齢は71±8歳です。レカネマブは非常に早期の人にしか効果はないので、進行を抑えるといってもある程度進行すれば適応はなくなるはずです。なので、5年も6年もレカネマブを続ける人は(例え複数回投与が適応となっても)あまりいないのではないでしょうか。
まとめ
アルツハイマー病の原因の1つであるアミロイドを減らす、レカネマブという新薬が承認されました。
画期的な薬ですが、効果はそれほど大きくない可能性が高いです。病気を治癒させたり進行を抑えることはできません。
超早期の方が対象であり、この薬を使える患者さんは非常に限られます。
稀ですが、命に関わるような脳出血をおこす副作用があります。
この薬はアルツハイマー病の治療のスタートと言えます。アルツハイマー病の進行を完全に抑えたり治癒させるような薬の開発には、さらに30年以上かかるでしょう。